第15話 近未来のメルヘン 『男と女』
「あなた、きょうは遅かったのね。わたし待ちくたびれちゃった」
車のドアを開けるが早いか、含みのある鼻に掛かった声が響いた。
「すまんなあ、会議が長引いてね。部長がまた例によって訳のわからんことを言い出してさ。困るんだよな、あの人には・・・前回のボクの提案もいまだに没になってるし、老害だね、ああなると」
男はコートを脱ぐと、後部座席に放り投げた。
スターターボタンを押し、メインスイッチを立ち上がる。駐車場を出るとゆっくりと流した。電気モーター特有の微かな金属音が聞こえる。
「ねえ、労咳って、肺結核のことでしょ? いまどき、そんな病気に掛かる人がいるの?」
「はにゃ? 違うよ、歳を取りすぎたってことさ。年寄りが頑固一徹になるのは知ってるだろ」
「ははーん、そういうことね・・・。ねえ、さっきテレビで妙なこと言ってたわよ。人工増加率が未来予測と変わってきているとかなんとか」
「なんだい、それは?」
「その先をどうしても、聞きたい?」尻上がりのアクセントがじらす。
「どうしても、聞きたくない」
ヒュンと脇を何かが高速でかすめていった。続いて、赤と青の点滅サインが追いかける。獣の雄叫びのようなサイレンが一声吠えた。
「あらま、スピード違反で捕まったよ。バッカだなぁ。街中を自分でドライブするのがまだいるなんて、信じられないよ」胸の前で両腕を組んだ男のつぶやきだ。
「古来より、スピードに憧れる人々は多くいました。あなただって、郊外では自分でやっているではないですか」声のトーンがわずか上がっている。棘を含んだ言い方に男はタジタジとなる。
「そ、そりゃたまにはな、それも気分のいいときだけだよ」
「ならば、いつもは気分が良くないって事ですね」茨の棘がどこまでも突き刺さる。
「わたしといるのがそんなにお嫌なのですね」
男は腕を解き、首を傾げた。どうにもおかしい。心持ち、インストルメント・パネルの輝度が増したようだ。電圧が不安定になったのかも知れない。
「なあ、何を怒っているんだい?」恐る恐る聞く。
「怒っていません」瞬時に返事が返る。
「ほら、怒ってるよ。なぜだい? あっ、さっき、話を聞きたくないって言ったからかい。あれは冗談だよ。分かってるだろうに、そんなこと」
一言も発せず、気まずい雰囲気が漂った。男は肩をすくめるとスポットライトを付け、手元の資料に目を通し始めた。
いつの間にか自動車専用高架道路に入っていた。一定間隔ですべての車が流れ、テールランプの明かりがどこまでも続いていた。
「まもなく家に到着します」
抑揚のない乾いた声に男は顔を上げた。資料に没頭しすぎて、頭に靄が掛かったようだ。
ランプウェイを下り、しばらく家並みの道を走ると車は見慣れた我が家に滑り込んだ。
「やれやれ、きょうはなんだか疲れちゃったよ。早めに寝るとしよう」
資料やコートを手に持つと、男は車を出た。
「おやすみなさいませ。では明日またお待ちしております。ご主人様」
それだけ言うと、"車"は自動シャッターの開いたガレージに入っていった。
「なんだよ、他人行儀になっちゃって、すぐにへそを曲げる"女"はダメだな。明日にでも、他のメーカーのROMに交換してもらうとしよう。今度は素直な"女"がいいなぁ」
男は、玄関のドアの前に立った。
「お帰りなさい、あなた、寂しかったのよ」嬉しそうに"家"が言った。
第十四話地獄のメルヘン『天国に至る道』
第十三話SFメルヘン 『未完の宇宙』
第十二話『セラミック革命』
第十一話『不協和音』
第十話『−184℃』
第九話『フェヒナーの法則』
第八話『もう一つの顔、パート2』
第七話『常識のウソ』
第六話『もうひとつの顔』
第五話『複合民族国家』
第四話『古代文明への誘い』
第三話『翼のない天使』
第二話『狂気の価値』
第一話『タバコ飲みの効用』