第十一話『不協和音』

物事は常に順風満帆に行くとは限らない。右に曲がり左に行き、敷いたつもりのレールの上からこぼれ落ち、それでもなお進まなければならない。
不条理とも思える日々の歩みに、天を仰ぎ嘆息するのはわたしだけではないはずだ。

そんな折り、知人のオーケストラの指揮者からこんな話を聞いた。
指揮者は音響学への造詣も深くなければならず、和音・合成音、さらには音の波形にまで注意を払うそうだ。なかでも、金管楽器のフルートが音響学的にはずば抜けていて、そこから発生する音は純粋な正弦波形を描くという。他の楽器は、高調波・低調波・二倍波・三倍波等が複雑に入り交じり、面倒な波形となるそうだ。
だが音響学的に優れたフルートだけでは交響楽にならず、さりとてフルート抜きでは成り立たない。音楽の世界とは、わたしが考えるほど単純なものではないらしい。

さて指揮者の彼は、当然いくつもの楽器の合成音を常時耳にしているわけだ。単体の楽器の音はこう、だから組み合わさった場合はこうなる、と図式を常に頭に描く。
楽譜を見ただけでその合成音をイメージできる能力には舌を巻くが、このときに彼はこんな妙なことを言った。
「絶対音感のある指揮者はダメなんだよ」
わたしには意味が分からない。基準となる絶対音感なくして、どうやって音をまとめるのだ、と思った。指揮者は、全員が絶対音感を持っていると無条件に信じていたのだ。
彼は、「正確にはね、絶対音感はあってもいい。でもね絶対音感のある者はどうしてもそれに頼る。ハーモニーは楽譜通りに演奏して出るものではないのだ」とも言う。

国立管弦楽団の指揮者を勤めるほどの彼だ。いくら奇妙であろうとも言葉には重みがある。
なにより、交響楽に対するわたし自身の認識がまったくなく、反論どころかただ黙って彼の言葉を聞くしかなかった。

「半音のさらに半音、時によってはその半音が欲しい場合がある」
わたしは目をパチクリさせる。
「それを要求しても出せない奏者はそれまでだが、まず大抵の者はその音を出す。それでね、それは厳密な意味では"和音"とは呼べず、ある種の"不協和音"なのだが、その"不協和音"が入った場合と入らない場合では、まったく耳障りが違うんだよ。聞いていて安心感がある。それになにより"楽しい"ね」
そんなに深いのか、と思った。これまでただ楽譜通りに演奏してそれを合成すれば交響楽になると思っていたのだが、どうやら大きな間違いだったようだ。

「指揮者の身長によっても音楽は変わるんだよ」とも話してくれた。
人間の体内時計の時の刻みが個々に違い、背の高い者はゆっくりと、背の低い者はさらにテンポが速くなるのだそうだ。同じ曲を演奏しても、指揮者によって終了時間が違うのはそのためだと。

音楽、たかが音楽、されど・・・なのだ。
それにしても、不協和音があるからこそ音が安定する、不協和音があるからこそ"楽しい"というのはちょっとした驚きだった。あたかも、レールに乗り順風満帆で人生を謳歌する者と、紆余曲折を経て一日一日を過ごす者との違いを垣間見せられた気分だった。

以来、天を仰ぐのはやめた。
順風満帆な人生など、なにが人生なものか・・・となった。楽しくなければ"人生"ではないのだ。"不協和音"大いに結構!


第十話『−184℃』