第七話『常識のウソ』

女性は鉄分がよく不足する。それで、女性特有の柔らかな身体が出来上がる、と言うのは真っ赤なウソだが、まあ、月々の定期的な神の摂理ゆえに、血液そのものが一時的にせよ不足気味になるのだから無理もなかろう。
その不足した鉄分の補給に鉄剤を使用するのだが、この鉄剤、"お茶"で飲んではいけないと言われてきた。お茶に含まれるタンニン酸が鉄分を破壊する、というのが理由だが、これは食い合わせの禁忌事項"ウナギと梅干し"同様に頑なに守られてきた。
ところがだ、だれがどこでどうやったのか、"お茶は鉄分を破壊しない"とある日突然に実証されてしまった。以来、常識がひとつ世の中から消え去った。
ちなみに、"ウナギと梅干し"にもなんら科学的な根拠はないので、いずれは消え去る常識のひとつだ。

だが、必ずしも一般大衆に指示されている事柄だけが常識ではない。根拠もなく信じ、また多くの人も同様に思っているだろう、との個人的な常識もかなりにある。一般的なものであれ個人なものであれ、一度形づくられた常識を覆すのは、容易ではないのだ。

マレーシアのとある街、とある草原で夜空を眺めていた。
空気の澄んだ風のない夜は、南国の星は決して瞬かない。夜空に空いた小さな光の穴、穴・・・日本の夜空を見慣れた目にはちょっとした驚きだ。
地平線からわずかに浮き上がった辺りに、左にわずか首を傾げた"南十字星"がある。
「なぜマレーシアまで来たの?」とよく聞かれるが、"南十字星を見たかったからさ"、などと滅多なことでは言えるものか。
恋人のような星座をしばらく眺め、南から北へと首を巡らせた。
"天の川"だ。延々と一条の帯。ミルキー・ウェイの言葉通りの白い帯が、周囲に無数の宝石を従え、見事な光のショーを見せる。目を見開きしばし時の経つのを忘れた。

北から頭上へと天の川に沿って眺め、ふと動きが止まった。
なんだと・・・天の川が途切れている!?
再度、頭上を眺め、慌てて南へと目をやる。南半球上空のそこに、天の川は・・・ない!
なぜだ? わたしの頭の中では、天の川は北から南へと地球を取り巻いている。そうでなければならない。だが、この現実との喰い違いは、なんだ?

硬直して天頂を眺め・・・やがて、自分の間違いに気付いた。
これまで、銀河の水平軸と太陽系の水平軸は一致している、と無条件に信じてきた。だが、ならば、天の川は東西に伸びていなければならない。
・・・となると、そうか、太陽系は銀河の水平軸に対して垂直に立っているのだ。
銀河の回転と太陽系のそれは直交している。だから星の濃密な方向が天の川となり、反対側の希薄な部分には天の川はない。その境界が赤道上空・・・ということか。
だがそれにしても、北半球だけが常に華やかな銀河の中心を向き、南半球は常に辺境を向いている。なんと、不公平な話じゃないか・・・。

だがその小さな想いも、再度"南十字星"を見上げた瞬間、シャボン玉のように消え去った。
もしもこの星座が華やかな北半球にあったならば、決して人々の心は打つまい。
南にあるからこそ、常に銀河の辺境を向く南半球にあるからこそ、これほどまでに人々の心を捉えて離さない。
なるほど、南だからこそいいのか・・・。

北は北、南は南なのだ。
わたしの想いがそこに至ったとき、わたしの中の小さな常識が音を立てて崩れていった。


第六話『もうひとつの顔』