(続き)古墳の形は、直径32メートル・高さ約7メートルの円墳で、内部には巨大な横穴式石室が造られ、石室内には遺体を納めた家形石棺が置かれています。
横穴式石室
賤機山古墳の横穴式石室は、巨石を組み上げて造られ、県内最大の規模を誇ります。石室は、遺体を安置する玄室と、玄室への通路である羨道〜前庭とからなり、南に開く羨道の入口は、遺体を納めた後で人頭大の川原石が積まれ塞がれました。玄室と羨道の床には、拳大の川原石が敷き詰められ、奥から入口にかけては緩やかに傾斜しています。玄室と羨道の上には、重さ14トンを超える巨大な石を含む7個の天井石が載せられ、天井石の上は雨水の浸透を防ぐために、粘土で覆われています。石室の石材は、高草山南端の大崩海岸から運ばれたと考えられています。
家形石棺
賤機山古墳の石棺は、家の形をした蓋と、箱形の身の部分から成る長さ2.91メートルの大形の家形石棺で伊豆の凝灰岩を刳り抜いて作られています。蓋には、四角形の突起が、左右に3対(6個)と前後に1対(2個)付いています。8個もの突起を持つ家形石棺は、全国的には珍しく、この地方独特のかたちと言えましょう。蓋と身の合わせ目には、ベンガラ(鉄の赤色酸化物)が塗られていました。
出土遺物
石室内は、過去に盗掘に遭い、副葬品の一部は失われました。特に石棺は側面に穴をあけて内部が荒され、棺内には、冠帽の破片やガラス玉などわずかに残されていたのみです。しかし、石棺外には、遺物が数多く残され、中でも奥壁の前、石棺の西側、羨道からは、それぞれまとまって出土しました。遺物には土器や装身具、武器、武具、馬具、銅鏡、銅鋺などがあり、これら遺物の時代は、6世紀後半から7世紀前半に及んでいます。また、前庭の入口では、数個の甕(かめ)が破片の状態で出土しましたが、これは、墓前でのお祭りで使われたものと考えられます。