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沼の婆さん由来記 昔、一三三五年(建武二年)の後醍醐天皇の時、足利直義と新田義貞が安倍川で戦っていた頃、義貞の弟脇屋義助は、当時の守護に補され、しばらく東国に住んでいた。同国の瀬名村に小菊という娘がいて、この娘容顔美麗だったので宮仕えをと望んだ。(続く) |
| (続き)のちに新田一家の勢いが衰え、付き添うものもなくなってしまい、小菊はただならぬ身でどうすることもできず親里に帰り、義助公の軍旅の護衛を思いながら娘小葭(こよし)を出産して、三日目に小菊は空しく世を去った。それから十七年の歳月が流れ、小菊の母秋野は病にかかり、小葭はかねてから聞いていた浅間の社の百か日のお参りを誓った。ある日のこと、舟で巴川を下って渡しの中程まで進んだ時小葭が河童に引きずりこまれて水底に姿を消した。その事の次第を聞いた秋野は、龍となりその河童を退治して、沼の守護神となろうと発願して小葭と同じ水底に身を沈めた。不思議なことに、身投げしたその翌年から法器草と呼ばれる霊草が育ち、村人はその根を掘取って食料とした。誰言うことなく「あのお婆さんの魂がこの不思議な草を沼に生やして下さったのだ」と言って、お婆さんの霊をこの社に祀りした。 諏訪神社 |