reneiji.jpg (案内看板の内容)
蓮永寺(貞松山蓮永寺)
蓮永寺は、はじめ庵原郡松野村に建てられてあったが、元和元年(一六一五年)、お万の方の発願によって、駿府城の鎮護とすべく、この地に再興されたものである。お万の方は、上総国(千葉県)大滝城主正木左近大夫頼忠の娘で、後に伊豆河津の笹原城主蔭山氏の養女となり、徳川家康に仕えて二人の男子を生んだ。(続き)

(続き)上の子は、家康の第十子頼宣(紀州家)で、下の子は、第十一子頼房(水戸家)である。水戸黄門の名で知られる徳川光圀は、お万の方の孫に当たるわけである。お万の方は、熱心な法華経の信者で、特に身延山久遠寺日遠上人の帰依者であった。元和二年(一六一六年)、家康が駿府城で歿すると、髪を下ろして養珠院と号し、この蓮永寺にこもって、家康の菩提を弔ったということである。晩年はわが子頼宣のもとで平穏に暮らし、七十七歳でこの世を去った。境内には、当時の権勢を誇るかのように、身の丈を超える立派な供養塔が建てられている。また、近くには勝安房の母信子と妹じゅん(佐久間象山の妻)の墓がある。
寺宝 家康ゆかりの品が数多く保存されている。
静岡市