「池沼の歴史」
| 「池沼の歴史」 現在の麻機遊水地は縄文時代(約6000年前)には清水から麻機に至る奥深い入江になっていましたが、弥生時代以降には、ほぼ現在の海水面になりました。この地域はもともと低地であったため安倍川の本流が乱流し、流れは低地を縫うようにして清水方面に流れていました。江戸時代になると徳川家康によって駿府城が築造され、薩摩土手が造られたために安倍川の水量が減少し、下流では長尾川や吉田川から流出した土砂が堆積し、流れが衰え麻機沼ができたと言われています。戦国時代が終わり世の中が安定してくると人口も増え、この地域でも田んぼが開かれてきましたが、低地を流れる巴川は水はけが悪く、水田は10年1作と言われるほどで、大雨が降れば何日も水が引かず稲は腐ってしまいました。このような状態を何とかしようと江戸時代から大規模な巴川の浚渫や流れを変える工事が行われてきましたが、戦後の食糧増産を目指した土地改良事業によって良好な水田となりました。昭和40年から50年頃には高度経済成長とともに巴川流域の市街化が進み、台風などの大雨によって浸水被害が発生するようになりました。特に昭和49年7月7日から8日にかけて発生した「七夕豪雨」は巴川流域の総合治水対策事業への取り組みの契機となりました。 「麻機遊水地に蘇る生きものたち」(静岡県静岡土木事務所平成13年12月) |