駿府城址

higashimon020604.jpg 駿府城址【撮影】H14.6.4【掲載】H14.6.5
「案内看板の内容」
駿府城は、外堀・中堀・内堀の三重の堀を持つ輪郭式の平城です。本丸を中心に回字形に本丸・二ノ丸・三ノ丸と順に配置され、中央の本丸の北西角には、五層七階(外観五層内部七階)の天守閣がありましたが、寛永十二(一六三五)年に焼失しています。
(続き)
sunpu020211a.jpg 駿府城址東御門巽櫓(たつみやぐら)
「巽櫓は、駿府城二ノ丸の東南角に設けられた三層二重の隅櫓で、十二支であらわした巽(辰巳)の方角に位置することから「巽櫓」と呼ばれました。」(「ようこそ静岡へ」から)【撮影】H14.2.11【掲載】H14.2.13
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sunpu020211d.jpg 駿府城址東御門巽櫓(たつみやぐら)【撮影】H14.2.11【掲載】H14.2.13
この写真は城内から撮りました。
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駿府城址坤櫓(ひつじさるやぐら)【撮影】H25.10.27
平成26年3月完成予定
sunpu020211b.jpg 紅葉山庭園
駿河の四季折々と名勝を庭園としたものです。駿府公園内にあった野球場の近くに創られたたもので入園料150円はお得です。【撮影】H14.2.11【掲載】H14.2.13
sunpu020211c.jpg 徳川家康像
【撮影】H14.2.11【掲載】H14.2.13
銅像のすぐ右側に家康公手植のミカンがあります。380
(続き)駿府城が城郭としてその姿を見せるのは、天正十三(一五八五)年に徳川家康公が築城を開始したことに始まります。この天正期の駿府城は現在の城跡に比べるとひと回り小さいと考えられますが詳細は不明です。この後、江戸幕府を開いた家康公が、慶長十二(一六〇七)年将軍を退き、駿府に移り住むために天正期の駿府城を「天下普請」として拡張・修築しました。当時の駿府は江戸と並ぶ政治の中心地として重要な役割を果していました。
平成八年三月 静岡市

(手植ミカン説明看板の内容)
静岡県指定天然記念物
家康手植のミカン
指定年月日 昭和二十八年四月一日
徳川家康公が将軍職を退いて駿府城に隠居のおり、紀州(和歌山県)より献上された鉢植えのミカンを天守閣下の本丸に移植したものと伝えられている。このミカンは当地の方言でホンミカンといわれており、鎌倉時代に中国から入った紀州ミカン(コミカン)の一種で、香の強い、種のある小形の実を結ぶ。静岡地方のミカンの起源を知るうえで貴重なものである。
花の時期 五月初旬
収穫の時期 十二月中旬
平成四年十二月
静岡市教育委員会
静岡県教育委員会