寿桂尼の墓所

ryuunji020301.jpg 今川氏親正室寿桂尼の墓所【撮影H14.3.1】【掲載H14.3.1】
ryuunji020530.jpg 「竜雲寺の案内看板」【撮影H14.5.30】【掲載H14.5.31】

「案内看板内容」
竜雲寺(洞谷山竜雲寺)
竜雲寺は、守護大名今川七代の当主氏親の夫人龍雲寺殿峰林寿桂大禅定尼(寿桂尼)の菩提寺である。寿桂尼は京都の中御門権大納言宣胤の女で、永正五年(一五〇八)今川氏親に嫁して、三男四女を生んだ。(続き)

(続き)氏親は晩年、中風気味で自ら国政をとることが困難であったため、夫人の内助によるところが多かったと言われている。大永六年(一五二六)氏親が五十六歳で亡くなると夫人は髪を切り、翠光院寿桂(後に長膳院)と号し、氏輝、義元、氏真三代約四十年の永きにわたり、政務を補佐し守護大名今川氏の繁栄をもたらした。ことに永禄三年(一五六〇)五月、尾張国桶狭間における義元公の戦死は今川方にとって決定的打撃となったが、その間に処して沈着よく事をはこび兵をおさめて論功を行い、今川家の回復をはかり、外敵の進入を受けることなく国内の平静を保ったのは、尼の力に負うところが大きかった。永禄十一年(一五六八)駿府の館で没したが、遺命により、駿府の鬼門にあたる当寺に骨を埋め、永く今川館を護ろうと念願したと伝えられている。墓所は、寺の背後にあって、五輪二基のほか石塔があるが、そのいずれが尼公の墓であるのかさだかでない。昭和五十八年十月静岡市